家庭内暴力・DVの特徴と
アダルトチルドレンとの関係性
身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトなど、家族の機能不全から様々な生きづらさが生み出されます。オフィスTには、心理的虐待だけでなく、家庭内暴力・DV(身体的虐待)から対人恐怖を抱え、一人で悩み、苦しんでいるアダルトチルドレンの方も多くご来室されます。
「家庭内暴力・DV」と「対人恐怖」
家の中に殴る、蹴るなどの暴力があると、親から大切に扱ってもらい、落ち着いた環境の中でのびのびと成長していくなど、健全に育っていくために必要な安心や安全を子どもは持つことができません。そして多くの場合、そうした暴力に加え、罰としてご飯を食べさせない、真っ暗な部屋に閉じ込める、外へ締め出すなどということも起きています。
さらには、こうした身体的虐待には心理的虐待が伴います。大声で怒鳴る、脅す、ムシをする、冷たい態度をとる、子どもの自尊心が傷つくようなことを繰り返し言う、なにかと兄弟とで比べるなどです。そうなると子どもはますます自分を押し込め、何とかその環境に順応して生きていくしかなくなります。
暴力 =(イコール) 虐待です
もしかしたらその暴力が日常的に起きていて、当たり前のように頭を小突かれたり、はたかれたり、蹴られたりしていたので、「暴力」や「虐待」と思っていないかもしれません。それよりもっとひどいこと(しょっちゅう両親が取っ組み合いのケンカをしていたり、父親がアルコールを飲んで家中で暴れていたりなど)が起こっていれば、自分への暴力に気づくことができないかもしれません。
もしかしたら、DVがあって母親は暴力を受けているけれど、自分には暴力がないので「自分は暴力を受けた」と思っていないかもしれません。でも、そうした親の暴力を目撃することは、自分が暴力を受けたのと同じくらい影響を受け、心に傷(トラウマ)を負います。実際、親の暴力を目撃することは虐待を受けた子どもと同じような影響が脳に出るという研究結果もあります。
子どもが暴力を受けることも、親の暴力を目撃することもどちらも虐待なのです。
それでもアダルトチルドレンの方はその戦場にも似た中を生き延びてきます。お話をお伺いしていると、過酷な体験を経ていらして、「それなのに、ここまでよく頑張って生きてきましたね。」と胸の詰まる思いがすることが多々あります。
多くの方がその暴力の記憶を封印するように押し込めて、普通に社会に出て仕事をする、結婚して家庭を築き子どもを育てる、という世間から一人の大人として望まれるであろう形を創り出し生きているのです。
アダルトチルドレンの対人恐怖
対人恐怖を抱えているアダルトチルドレンの方は、心の中にネガティブな循環が生まれてしまっています。
- 人が怖い
- 怒られるのが怖い
- 怒っている人が怖い、人が怒られているのを見るのも怖い
- 人からの評価を気にしすぎる
- 人の顔色ばかり伺ってしまう
- 人の機嫌が気になる
- 人と話すときに緊張し頭が真っ白になる
- 手が震える、声が震える
常に恐怖心があるため、人間関係が築き難くなってしまっています。
- 自分に自信が持てない
- 人に迎合してばかりで自分がない
- 心を開いて付き合えない
- 気軽に友達や恋人を作れない
- 男性恐怖・女性恐怖
- 深い付き合いができない
- 親密な関係が築けない
ひとりぼっちで孤独
・どこかいつも満たされない感じがしたり、自分は人より劣っていて恥ずかしい人間だと思っている。
・周りはみんな幸せそうなのに自分はどんなに頑張ってもダメ人間でしかない…。
・人といるととても疲れてしまう。一人の方が気楽だけど、それじゃあ淋しい…。
そこには、暗い闇にポツンとひとり立っているような「ひとりぼっちで孤独」や「孤立感」というつらい感覚がついてまわります。それは、たとえどんなに外側(社会的地位や名誉、金銭面など)が満たされても、その感覚がなくなることはないのです。
「家庭内暴力」と「対人恐怖の生きづらさ」
「家庭内暴力」と
「対人恐怖の生きづらさ」
母からの暴力(A.Kさん/37歳/会社員)
私は幼いころから母からの暴力を受けてきました。私の中に残っている一番古い暴力の記憶は、雨戸とカーテンが引いてある薄暗い部屋で、正座した私の手を母が叩いているシーンです。それは何日か前に幼稚園でお友達を叩いたということで怒られたのです。「なんで○○ちゃんを叩いたの!!」と怒鳴られ、手の甲をビシッと数回叩かれました。私はうつむき加減でカーテンの模様をじーっと見ていました。そして、とにかくこの時間が過ぎるのを待っていました。本当は「たたいてないよ!」と言いたかったのですが、それを言えば「口答えして!」とさらに怒られるだろうし、何か言葉を発したら泣いてしまいそうで、泣いたらそのことで「泣くな!」と母から叱られるだろうと思い、じっと我慢していました。
母は、もともと愚痴っぽく不機嫌になることが多い人だったのですが、年々、母の機嫌は悪くなっていくようで、それにつれて暴力もエスカレートしていきました。
小学校に入ると母の言うことを聞かないとパンッと頭をはたかれ、母の気に入らない行動をすると「こんちきしょう!」と言い、物差しやはたきでバンバンたたかれるようになりました。小学校の高学年の時には、夕方になると母は私の部屋に来ては暴れていました。勉強していれば「勉強しているフリするんじゃない!!」、本を読んでいれば「こんなくだらない本読んで、遊んでばかりいる!!」「あんたは遊んでばかりでいいわよね!」とヒステリックに怒鳴り、叩かれ、椅子から落ちるくらい何度も強く蹴られたりしました。 時々、私の太ももには蹴られたときの大きなアザができて、それが痛いのと、「なんで私だけこんな扱いを受けなくてはいけないの?!」というやり場のない怒りや悲しみを感じていました。タイミングが悪く体育の授業だと、そのアザを友達から「どうしたの?大丈夫?」と言われます。そんなふうに心配された時の身の置き所のない恥ずかしさや、「階段で手すりにぶつけちゃったの」と言い訳しているときの焦りやみじめさ。「お母さんがやさしいこの子には絶対に言えない」「言ったらうちがおかしい家だと思われる」と、友達の前で泣くことも、先生に話をすることもできませんでした。
そんな毎日が高校を卒業するまで続きました。
それでも私の家は、父がサラリーマン、母が専業主婦という、外から見たら「普通の家」でした。私もその外見に合わせて外では明るく振る舞っていました。思い返せば、中学生のころあたりから対人恐怖だったのだと思います。でも、自分ではそんなふうには思っていなくて「自分の性格がダメ、弱い」から緊張しやすいのだと思っていました。学生時代は人の顔色を伺う、ご機嫌を取る、人が不機嫌にならないように気を配る、機嫌を損ねないように相手に迎合して話を全部合わせる、そうやってなんとか人間関係をやっていました。それはそこそこ上手くいっていました。
でも、そうした方法だけでは社会に出たら通用しなくなってしまいました。それに毎日緊張の連続で気が休まる日がないのです。なので、これまでなるべくリラックスするために呼吸法をやってみたり、人付き合いの方法を変えよう、改善しようとカウンセリングやセミナーに通ってきました。でも「人からどう思われるだろうか?」と人からの評価が怖いことや人から嫌われることの怖さは変わらず、やはり人が怖いのです。
父が母に暴力(H.Sさん/45歳/福祉関係)
私の家では父から母への暴力がありました。 (DVです。子どもの頃はそれがDVだという認識もなく、ただ ただその暴力の中を生きていました。)
父が自己中心的な考えの人で、食事の時間には、「食事の仕度が遅い!」「熱すぎる!量が多すぎる!!」「お前がちゃんと見ないから子どもが食べこぼしている!!」と怒鳴り、新聞や本がテーブルに置いてあるだけで「部屋が散らかっている!!」など、ほんのささいなことで怒り出し、母を殴っていました。母はそれに反抗することも、家を出ていくこともせずただひたすら耐えていました。その母は私に父のグチや悪口を言っていました。
私は小さいころから母のグチの聞き役だったのですが、「お母さんがかわいそう」と思っていました。中学生頃になると、そんな母のグチを聞いているのが苦痛になっていたのですが、それでも母の疲れ切った顔や、さみしそうな背中を見るとやはりかわいそうで、そのグチに付き合っていました。また、「自分が悪いから、母が暴力をふるわれるのではないか」という考えがいつも頭のどこかにあって、母になるべく迷惑をかけないようにと思っていました。
高校に入るころには、父の母への暴力は収まったのですが、それでも言葉の暴力は続いていました。
今は実家を離れているので暴力とは関係なく暮らしているのですが、自分に自信がなく、すごく人の顔色を伺ってしまうし、人との距離の取り方が分かりません。人に上手に頼るとか甘えるとかもできません。逆に何か人に頼むのが怖いくらいです。人が怖く、特に男性が苦手で、男性といるととても萎縮してしまい、とても生きづらさを感じています。
父が母と私に暴力(Y.Kさん/42歳/公務員)
私の育った家では父が暴力的で、母や私に暴力を振るっていました。両親は不仲で夫婦ゲンカが絶えず、私はいつも大人の怒鳴り声におびえて過ごしてきました。夜、寝入ってから隣の部屋で両親が怒鳴り合う声で目を覚まし、怖くて布団にくるまっていたこともありました。
父は主に母に暴力を振るっていたのですが、時にその矛先が私の方へ向いてくることもありました。父は自分の言うことに従わないと気が済まない人で、私が父の言う通りにしていないと「なんでいうこと聞かないんだ !」といきなり、顔をはたかれたり、殴られたりしていました。母が暴力を振るわれていると「お母さんを助けなくては」と思うのですが、恐怖で固まってしまって身動きが取れず、そんな自分に「なんてダメなんだ」と自分を責める気持ちと、何もできない無力感を感じていました。
自分の対人恐怖には大人になってから気づきました。
人に対してビクビク、オドオドした態度をし、特に上司をとても怖いと感じてしまいます。人の怒鳴り声も怖く、自分が怒られていなくても怖いです。
気分の切り替えも下手で、ついネガティブな考えになってしまいます。なので、人といるととても疲れてしまい、一人の方が気楽に過ごせるのですが、でもひとりぼっちはさみしく、本当は人と仲良くしたいのですが…。
癒しの体験談
母からの暴力と対人恐怖を乗り越えて(A.Kさん/37歳/会社員)
A.Kさん/37歳/会社員
誰かに全部、分かってもらえたら…
だけど、本当は誰かに私の話を聞いてもらいたかったのです。私のつらい気持ちを分かってもらいたかった。今、抱えている対人恐怖のつらさや人付き合いの悩み、さらには子どもの頃のつらい体験も。私の話を全部聞いてくれて、分かってくれる人がいてくれたらいいのに…。
そしたら今抱えている苦しさが楽になって、すこし前に進めるのではないか…。
それに人に対しての恐さも本当につらくて、苦しくて、もうどうにかしたかったのです。何か所かカウンセリングへも行ったのですが、自分に合ったところでなかったのか充分に話ができませんでした。そこでさらに色々と探していた時にオフィスTのサイトを見つけ相談に来ました。
こんなにも緊張させて生きてきた
初回のセッションが終わった時、すごく自分の話や自分の気持ちを聞いてもらった感じがして、初めての場所で行くのもとても緊張したけど、来てよかったな、色々と話せてよかったな、と思いました。なんだか自然と色々な話ができたのです。
そのセッションの中で、対人恐怖の話になった時に外川先生から「それだけのことがあったのだから、人が怖くなるのも当たり前よ。誰だってそういう体験をしたら、人のことを怖いと思うし、信用できなくなるものよ。」と言われて、そしたら体中から力がふ~っと抜けるのを感じて、その時初めて、自分は身体までもこんなに緊張させて、これまでずっと生きてきたのだということに気づきました。でも、思い出す限り幼いころから、ずっとそうした状態だったのです。
全部、受け止めてくれた
それから、私はオフィスTのセッションに通うようになりました。セッションでは母から受けた暴力のこと、そういう毎日の中でどんな気持ちで、どんなふうに過ごしてきたのかを語り続けました。何度も繰り返し同じ場面の話をしたこともあります。それくらい私の中に怒りや悲しみが詰まっていて、それは最初、いくら話しても吐き出しても、尽きることがないのではないかと思ったくらいでした。
私の心が怒りの感情でいっぱいになっているときも、涙が止まらないときも、何の感情もわかず淡々と話すときも、外川先生はとにかく丁寧に聞いてくれて、そして1つ1つの気持ちを全部受け止めてくれました。不思議なことにセッションの最初に泣いていたり、怒っていても、話しているうちにそれが収まっていって、セッションの最後には、「自分はこんなつらい体験を乗り越えてきたんだ、すごいな、えらいな」とか、「苦しくてよかったんだ」と胸があったかくなる感じや安堵感を感じたり、「だから、人付き合いが上手くいかないんだ…」という気づきに変わっているのです。
帰りの電車の中では、つり革につかまって立っている身体が、行きの電車で感じていたものより軽く感じられたり、自分の芯がさらにしっかりしたものになっているのを感じたりしました。
自分を責める気持ちがやわらいで
そうやって、オフィスTへ通うことが私の中で楽しみや励みになって、毎日に張り合いができました。
仕事でつらいことがあったり、子どもの頃のことを思い出して苦しくなった時には「また来週行くから、その時に先生に話を聞いてもらおう」と思うと、なんとか乗り切れました。良いことがあったり、変化したことがあった時も「次のセッションの時に話そう!」となんだかうれしくなったりして、自分の話をちゃんと聞いてくれる人がいるというのは、こんなにも心強くなれるものなのだということを少しずつ実感として感じていきました。
そんな中で、私の中にあった「自分はダメな人間」という自分を責める思いがだんだん変わっていき、自分が母からの暴力、そして一度も助けてくれなかった父の無関心によってとても傷つき、そのことが生きづらさにつながっていたことが理解できるようになりました。そして「ダメな自分」と責めていた気持ちもやわらいでいきました。
物の見え方が変化し、外の世界にも変化が!
そういう自分の物の見え方が変化していくにつれ、外の世界にも変化がでてきました。
私には上司が怖いというのも悩みの1つで、上司から怒られたり、注意される怖さを持っていました。なので、上司とは最低限必要なことを話すだけで精一杯で、良い関係を持てているとは思えませんでした。
それが、外川先生に色々とアドバイスをいただいて、緊張するけど、怖いけど、上司と話すときに目を見て話すようになったり、業務上のちょっとしたことを相談してみることができるようになっていったのです。上司と大切なことを話すときには、事前にセッションで外川先生と練習もしました。
そうしたことを続けていたら、上司から色々と話しかけてくれるようになったのです。多分、それまで私がビクビクオドオドした態度だったので上司も話しかけづらかったのでしょう。(もしかしたら、気を使ってくれていたのかもしれません。)それを私が「上司から嫌われているのではないか」と思ってしまい、余計に怖くなっていたという悪循環になっていたのです。
自分のままで大丈夫なんだな。
そうしてセッションに通いつつ、並行してグループセラピーにも参加しました。
他の方も同じように対人恐怖や自分の家族のことで悩んでいる方が参加するとのことでしたし、外川先生が主催されるということもあって参加しやすかったのですが、やはり慣れるまでは毎回緊張していました。
でもグループの雰囲気は「ちょうどいい明るさ」で、人が怖いと思っている自分のままで参加して大丈夫なんだな、と思いながら参加していました。今では笑い話になっているのですが、最初の頃は、「人からどう思われるか」というのが怖くて、話がしどろもどろになったり、緊張から途中で何を話 しているのか分からなくなったり、全然話がまとまっていなかったり…ということがありました。
でも誰もそのことを批判しないし、バカにしたりしないし、逆に「自分も緊張してるのよ」と言ってくれるので、そうした緊張を気にしなくなっていきました。セッションで外川先生には色々と話していたのですが、グループでも家族のことや暴力のことを話しても大丈夫でしたし、そうした体験は自分だけではないことが分かって心強い味方ができた気がしました。
ちゃんと足をつけられる場所にたどり着いた
子どもの頃から家にも学校にも居場所がなく、あまり感じないようにしていたけれど、本当はずっと一人で孤独でさみしくて、苦しかったのです。だからこそ、これまでずっと自分が安心して自分でいられる居場所を探し求めてきたような気がします。でも、いつも同じような人間関係のパターンで関係が終わってしまっていました。考えてみれば、そもそも人に対して恐怖を感じている私が心を開けるはずもなく、人と打ち解けたり、親密になれるはずもなかったのです。でも、グループセラピーに参加するようになって「やっと、この世界にちゃんと足をつけられる場所にたどり着けた」という安堵の感覚を感じました。
グループセラピーでは認知行動療法やコミュニケーションについて、人間関係についてなどを学んだり、その時々に応じてさまざまなワークが組まれていて、とても楽しく、癒しを進めたり深めていくうえでとても役に立つものばかりでした。
ここが私の居場所
回を重ねていく中でグループの仲間ともうちとけて話せるようになり、清里でのワークも一緒に参加したりして同じ時間を過ごすうちに、「ここが私の居場所なんだな~」と思うようになっていました。
私は生まれて初めて「自分が安心していられる場所」を持つことができたのです。そうしたことを感じるようになったころには、会社の飲み会でドキドキしながらも雑談することができるようになっていました。(それまでは「人からどう思われるか」「嫌われないだろうか」ばかりが気になり参加するのがつらかったのです。)
怒りの塊(かたまり)が小さくなっていく
清里ワークでは、母とのことを何度かワークの中で取り上げました。暴力を受けたことや冷たい態度をされたり、自分をバカにしたり、批判するようなことを言われたことなどです。私の中に「母のことを許せない」という怒りの塊(かたまり)が大きくあって、それが苦しくて仕方がなかったのです。
それでも、取り組み続けているうちに、その塊は小さくなっていきました。あれほどの怒りが本当に小さくなっていったのです。そのたびに「癒しってすごい!!」と思いました。
そんなふうにセッションやグループ、清里ワークで感情の整理をしたり、トラウマの癒しをしていって、ずいぶんと自分の人生が「らく(楽)~!」と思えるようになりました。
自分は愛されるに値する人間
さらに癒しに取り組み続ける中で、本当は母から愛されたかったのだという自分の本当の気持ちに出会いました。それは、愛されたいのに愛されない、という胸に突きささるような痛みも感じました。でもその時に、自分の傷ついたインナーチャイルドをさらに深く理解でき、心からインナーチャイルドを抱きしめることができた気がしたのです。
そしてそのことは、さらなる変化を起こしました。清里から帰ってきて、自分の中に根強くあった「親にすら愛されないダメな子」という自分への見方が、「愛されなかったのは自分がダメな子、悪い子だからじゃなかったんだ。自分は愛されるに値する人間なんだ。」と腑に落ちて思えるようになっていったのです。
自分らしい豊かな人生を生きていく
なんだか、それまで見えていた世界が広がって見えました。
そして、自分が自分の中にちゃんといられるという「生きている実感」を感じられるようになったのです。空の色も、四季折々の風の香りも、食事の味も、自分の様々な感情も、より鮮やかに、よりリアルに感じられるようになりました。 人との関わりは、まだちょっと怖さもあるけれど、でもそれよりも充実していて楽しいと思える!!
それは、楽しいことやうれしいことだけのバラ色の人生ということではなくて、かといって悩みや苦しみだけの人生でもなく、その両方がいろいろ織り交ざった自分らしい人生です。そんな「自分らしい豊かな人生」を、アダルトチルドレンの癒しを通して得ることができたと思います。そして、そうしたことを得ることができた自分をうれしくも、誇らしくも思っています。
子どもの頃に誰か気づいて守ってくれたら…。でも、アダルトチルドレンの方の多くはそうした人も持てず、傷ついた心に何の手当ても受けないまま大人になり、対人恐怖などのトラウマの影響に苦しんでいます。
それは本当につらいことです。多くの方が『「普通になろう」「人並みになろう」としてきました』とおっしゃいます。そうやって、子どもの頃から、育ってきた家族からの影響に押しつぶされないようにずっと頑張ってきたのです。それなのに大人になった今、本当に苦しい思いをしているのです。
だからこそなのです。
本当につらい体験をしてきた、苦しい思いもたくさんしてきた、それでも頑張って生きてきた。だからこそ、「のびのびとした自分らしい人生」「より豊かな人生」を創り出してほしいのです。本来あるべき姿の自分を取り戻して、その人生を生きていくのです。
それは、受けた暴力も、負ったトラウマも、対人恐怖さえも超えて、「自分のための人生」を生きるということです。それがどれほど素晴らしいことか知って欲しいのです。そのために、オフィスTではアダルトチルドレンの癒し、インナーチャイルドの癒し、トラウマの癒しに全力で取り組んでいます。
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ぜひ一度ご相談ください。
ご予約・お問い合わせ
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清里ワーク
安堵のため息、そして感動… 生き直しの3日間 短期集中ワーク インナーチャイルドワーク
この短期集中ワークではグループで3日間寝食を共にすることによって、ありのままの自分に戻ることを目指します。そしてお互い相手認め合うこ とにより一体感が生まれ、絆を深めていきます。ここで感じた仲間の存在と安心感は、その後の癒しの道にも確実にプラスにな り、意義ある魂の出会いが起こります。
セラピスト紹介
外川智子(とのかわ ともこ)
1952年生まれ
オフィスTヒーリングセンター代表
ACカウンセラー・サイコドラマセラピスト
透視カウンセラー・ヒーリングセラピスト
大橋佐知子
1974年生まれ
透視カウンセラー・ヒーリングセラピスト
外川智子著書
なんとなく怖い…「対人関係の傷みを癒す」~アダルトチルドレンと愛着障害~
著者:外川 智子
定価:1,540円(税込)
発行:㈱パブラボ
「人は人によって傷つくけれど、 人は人の中で癒される」
~アダルトチルドレンからの回復 オーラに現れるトラウマを癒す~
著者:外川 智子
定価:1,430円(税込)
発行:メディアート出版
「あなたの一番になりたくて」~AC(アダルトチルドレン)と対人恐怖~
著者:外川 智子
定価:1,430円(税込)
発行:現代書林
「私は私をあきらめない」~家族トラウマを超えて~
著者:外川 智子
定価:1,650円(税込)
発行:メディアート出版
誰もがみな幸せになっていい:アダルトチルドレンの痛みを癒す(Kindle)
著者:外川 智子
定価:1,100円(税込)
発行:22世紀アート
人に対してすごく緊張する
自分の対人恐怖は、ずっと自分の性格のせいなのだと思っていました。人に対してすごく緊張したり、身構えてしまったり、「人からどう思われるか」が気になったり、「嫌われるのが怖い」と思ってしまうのは自分の性格が弱いからだと思っていました。そしていつも人の顔色を伺ってばかりで、表面上は上手くいっていても、「自分」がないような気がしていました。でも、本やインターネットなどを見るうちに、それは子どもの頃の家族でのこと、特に母からの暴力が影響していて、自分はアダルトチルドレンなのではないかと思うようになりました。
でも、「本当にそんなふうに思っていいのかしら?」とか「人から、今さら昔の話と思われるのではないか?」という思いも沸いてきました。
子どもの頃から「普通の家ではない」と思われるのが怖くて、これまでも家族の話をするときには「お母さんがちょっとヒステリックになるときがあるけど、それ以外は普通の家」というふうに話し、人に自分の家族のことや自分が暴力を受けていたことを知られないように隠してきたのです。だから、そうしたことを人に話すことがためらわれました。