皆様、こんにちは。オフィスTヒーリングセンターの外川(とのかわ)です。
「幸せになりたい」「楽になりたい」
でも、幸せが分からない。楽ってどういう事か分からない。
オフィスTを始めて25年。オフィスTにご相談に来られた多くの皆さんが望んだこと。
それは「楽になりたい」「幸せになりたい」ということでした。オフィスTにご相談に来られる方には、特にACという問題が根底にあっての生きにくさです。
人間関係が苦手で、人と関わるのが上手にできなくて…
そこで、あなたにとって「幸せに生きる」とか、「楽になる」って、具体的にどんな事?とお聴きすると、ほとんどの方が、「分からない。」とおっしゃいます。
「楽、楽しいが」分からないのです。
悩みの処方箋
第2回 アダルトチルドレンの癒しを考える
■ 原因のない苦しさはありません。
ACのお悩みの原因は、一人では見えにくいものです。
それは、小さな頃から日々の中で傷つきが起きているために当たり前の事になっていて、傷ついていることさえマヒしてしまっていて気づいていないことがあるからです。
「楽しい」「幸せ」って、いったい何だろう?
ある年の ‘’清里ワーク‘’ でのことです。
『楽しい』を体で表現してみましょう。というワークをしたのですが、多くの方が「怒り」は分かるけど、「楽しいって?」と、戸惑われていました。
そう聞くと、楽しいが分からないってどういうこと?と思われる方は多いのではないでしょうか?笑顔を作れば「楽しい」と分かるんじゃないかな?と思われるでしょう。
でも本当に分からないのです。
小さい頃からお家でも笑わないので、表情筋の動きも悪いのです。
楽しくて声が大きくなると、当然「うるさい!!」と怒鳴られます。
マンガを見ていれば、「マンガなんか読んでないで勉強しなさい!」などとまた怒鳴られます。
いつもそんな風だから、「楽しい、嬉しい」をあまり味わっていないのです。だから表現したこともないのです。
もちろん、その言葉は知っているけれど、それが具体的にどんな感じで、どんな感覚なのかが意識の中でつながっていないのですね。
そもそも、楽しさや嬉しさを「表現」する以前に「感じていない」のだとすれば、分からないのも当然のことです。
あるクライアントさんは、幼稚園のお迎えの時、他の子たちが嬉しそうにお母さんの所へ駆け寄っていくのが不思議だったと話してくれました。
自分はお母さんが怖くて、お母さんに飛びつくなんてできません。
「その時、初めてお母さんってやさしいものなのか~」と知りました。と言っていました。家の中では、怒鳴られたり、叩かれたりの虐待があったのです。
母親が、「あれをしろ!」「これをしろ!」と、母親の言う通りに、思う通りにしないと殴られました。
また、夏休みに家族旅行をしたことがない、家族で遊びに行ったことがないという方も多いです。あるいは旅行や遊園地には連れて行ってもらっていても、帰りには必ずと言っていいほどケンカになります。
渋滞が起こると父親のイライラが始まて、そこから母もイライラし、さらにはヒステリックに叫びだす・・・ですから子供たちは小さくなって、固まってしゃべれなくなって、楽しかった旅行が台無しになるのです。
一番安心できるはずの家の中が、一番危険な場所なのです。
よくクライアントさんたちは、「家の中が一番緊張するところで、外の方が安心だった」言われます。
でもいつもこうだから、もうマヒしてしまっていて、傷ついていることもサッとお腹の底に隠してしまいます。そして感じなくなるのです。
良くその場に合わせると言いますけれど、
自分を表現することを抑え込まれてきたACの方々にとっては、そもそもそれはいつものことですから、それを誰かに相談するということも考えに上がらないのです。
親の顔色を見て、いつだって親の機嫌に合わせて暮らしています。
ですから友達であれ、教師であれ、誰に対しても相手の顔色に合わせています。
相手が怒り出すのじゃないか、機嫌が悪くなるのじゃないかと気に掛けているので、いつの間にか自分の考えも分からなくなるのです。そして、コミュニケーションができなくなるのです。
そもそも「感じる」って、どういうこと?
ですから私のセッションでは、多くの場合、まずは「感情」を感じることからスタートします。
もちろん、目の前に急いで取り組む必要のあることは、一番に取り組んで行きますが、
多くの場合、感情を取り戻すことから始めます。
そのために、感情日記をつけてもらうこともあります。
「上司に嫌味を言われて、すごく腹が立った」あるいは悲しくなった。とか「今日も残業になってしまった。仕事が遅れがちで、みんなに迷惑かけている。みんなに申し訳ない」「私はダメだ」とか、どんな時、どんな感じがしたのか?そしてどんな言葉が浮かんだのか?
そして、どんな気分になることが多いのか?思ったままに書き出します。
あるいは、寝る前に、今日1日を振り返って今日はどんなことがあって、どんな気分になったかな?イヤなことも、良かったことも書いておきます。
そんな風にして、自分の感情に気づいていくようにしています。
ところが、日記に書いたことは、感じたことではなくて、考えたことだったり、分析したことだったりするのです。
ここで、「感じることと考えることは違う」ということに気付いたりします。
この様に多くの人が、感じることより思考が先行しているのです。
ここは笑うところ? みんなが笑っているから、笑っておこう、とか。
こんなこと言ったら、バカにされないかな?とか。
そのままの自分が感じたことではなく、人に合わせた自分です。
でも、1週間でも書いてみると、自分の感じ方や考え方のパターンが見えてきます。
自分を知っていく癒しの旅の始まりです。
ですからまずは、身体の感覚を意識することから始めます。
例えば「胃が痛くなる」とか、「頭が真っ白になる」「緊張する」とかですね。
そして、それに対して今の自分はどうなの?どんな感じなの?とか自分に尋ねて、自分を分かっていきます。その基準は「快なのか、不快なのか?」です。 こういう問いかけだと非常に分かりやすいのです。
快か、不快か?
例えば、指先に小さなささくれがあっても、私たちはとても「不快」を感じるものですね。ちょっと何かをしただけで、ささくれが引っかかって痛くなります。そのたびに指先が気になって、何をするにも指先を意識するようになります。痛いからバンドエイドを貼れば貼ったで、それが邪魔になって細かいことがしずらいですね。こうして、結局1日中、ささくれに振り回さてしまうのです。
しかし、そのささくれが治り。「イタイ」という感覚がなくなると、それだけでも気分は落ち着きます。一気に「快」になるんですね。その状況は皆さんにとってどうでしょうか?
かなりの「幸せ」ではないでしょうか?私はささくれが治っただけでも、スゴク幸せを感じますよ。
そう考えていくと「幸せ」ってそれほど難しいものではないと気づくはずです。このように「幸せ」とは、理屈ではなく、あなたが今感じる感情、感覚のことなんですね。
もう一つ、例をお話ししましょう。
「肩こりがひどいんです。」という方はACの方には多いですが。それはとても不快ですよね。
でも、案外、肩こりを感じていないときもあるのですよ。ですから、肩が凝っていると感じるのはどんな時?と自分を細かく観察してみてください。
そうすると、肩が凝っているとき=「不快」、肩こりを感じていないとき=「快」ととらえてみると、毎日毎日、もしくは一日中、不快(=不幸)ではないことに気づけます。
そういうことから自分を見つめ直してみるのはいかがでしょうか?
以外に幸せは、小さなところ、シンプルなところから始まっていて、それほど難しいことではないことに気づくかもしれません。
また、自分がどんなときは「快」で、どんなとき「不快」なのか、何らかのパターンが見えてくるかもしれませんが、そこに深いキズ、トラウマになっていることがあるかもしれません。
自分が気づかずに抱えている生きにくさの原因、トラウマが見えてくるかもしれません。
人はイメージするものに向かって生きている
しかし、多くの人が自分は幸せではない、楽ではないと感じています。
それはなぜでしょうか?なぜ、幸せになりたいのに、人は幸せに向かうことがこれほど難しいのでしょうか?
それは、幸せに生きるというイメージが、あなたの頭の中にないからです。
グループセラピーのとき、皆さんと一緒に「幸せとはどんなイメージ?」と考えたところ、「胸のつかえがないこと」というイメージにたどり着きました。
胸のつかえがないと、どんな気分でしょうか?
心が晴れ晴れした感じでしょうか?ウキウキした感じ?それとも、爽やかな感じでしょうか?
そう、きっと心がとても軽い感じがしますよね。
では逆に「不快だ」と「幸せじゃない」と感じているときは、何かに煩わされているときということになります。それは納得ですね。
何かに悩んでいるとき、人は「不快」です。
そんな時は、「人はどうせ冷たい」とか、「またイヤなことが起きるに違いない」とか「また怒られるに違いない」というような思考が巡っていることでしょう。「どうせ、どうせ」が回っていれば、憂うつなのは当たり前です。
そして多くの場合、意識は自分ではなく、周囲に向いているはずです。
現実にどういう状況かは別として、周囲が自分に対してつらく当たるように感じています。
そうするとやはり、自分に冷たいモノばかりを意識してしまうのですね。
私はよく皆さんにもお話しするのですが、イヤな物を黒い石に例えて言うのですが「道を歩いているとき、黒い石があったらいやだな」と思っていると、黒い石ばかりに目を向けています。黒い石があったらいち早くよけなければ・・と
でも道には、きれいなピンクの石も落ちているかもしれないのです。
視野を広げるとピンクの石も見えてくるかもしれません。
そもそも「幸せ」のイメージが・・・
以前、クライアントさんが話されていたのを思い出します。
見るからに高そうな豪華なマンションの階段で、幼稚園のお迎えなのでしょうか、何人かのママさんたちが、それぞれ素敵な服を着て、幼稚園バスから降りてくるわが子を待ち受けているところでした。
それぞれの子どもたちがバスから降りてきてママの所へ駆け寄っていました。
そしてこれからお茶をする様子で、キャッキャと嬉しそうに、マンションの横のまるでハワイみたいな素敵な、リゾート感いっぱいのカフェへと消えていきました。
その光景を見ていたクライアントさんには、その人達が、幸せいっぱいで、光の中でキラキラと、透明に輝いてみえたそうです
これが幸せな人たち、幸せに生きてるってことよね~と。 本当に、ドラマに出てきそうな光景ですね。
でもそのクライアントさんは、自分が何かを間違えていることに気づきました。
その方は、確かに幸せになりたかった。あの透明で光り輝く人たちの中に混ざりたかった。
でも、あの人たちが必ずしも幸せとは限らないし、自分は自分の等身大のありのままの自分で生きることが出来れば十分に満たされるのかもしれないと、思い返してみました。
苦しさから抜け出すには、多くを望まないこと。
高みを望みすぎるところに苦しさが生まれるのです。
「あ~、ああいう生活、いいな~」自分には「それがない・・・」「不幸だ」と繰り返しになります。
クライアントさんが気づいたように、「ありのまま」の自分、等身大の自分を生きることが出来れば、充分に満たされるのかもしれません。
しかし、ACの方々には、家族トラウマがあることでそう簡単にはいかないのです。
どうしても満たしたい思いが心の深いところにあって、なかなか「今の自分でOK」とは思えないのです。
この心の深くにあるものの正体を見つけてあげないと、楽になりません。
それが何なのかを分かっていくのが「癒しの、取り組み」です。
それを見つけるには、感情日記を書くのが効果的なのです。
そして、セッションで話しつくします。そしてたくさん話して、たくさん泣いて、たくさんの悲しみや恨みやたくさんの言葉にできなかった思いを吐き出すのです。
そして自分のことを分かってもらうのです。
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この作業はとてもつらそうだけれど、1人で取り組むのではありません。
セラピストや、グループの仲間たちと力づけあって進んでいきますから
心配はいりません。
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ACに限らず、何かに囚われていると、そのことばかりに目が行ってしまいグルグルと堂々巡りをしてしまいます。
癒しはそんな風に、いろんな角度から色々考えたり、感じたりをしながら、視野が広がる練習をしながら進んでいきます。
そして、いつの間にか「楽」とか「楽しい」「幸せ」が分かる自分になるのです。